近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

芸術は現実を模倣する

古典芸能とジャズになぜか魅かれてしまう。以下は数年前に京都・平安神宮での薪能を観に行きたくて、仲間内で観劇ツアーを企画したのだけれど、思いのほか人数が集まってしまったため急遽用意した小冊子で、能楽鑑賞の手引きになっている。で、冒頭の一文のアンサーとなる結論がこの長文の中にある。要は、能とジャズ…どちらも再現性がないが故に刹那的で、かぎりなく現実に近しい虚構であるからなんだけど、その辺りはご興味があればぜひ以下を読んでみてほしい。

能を楽しむにはどうしたらいいか。答えはズバリ『慣れ』。鑑賞するのに素養というほどのものではないけど、『慣れ』が必要なんです。でも、その『慣れ』の前にとりあえず観てみないワケには始まらんのです。まずは観ることから始める。これが能を楽しむための最初の一歩です。

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<能と狂言の違い>
能・狂言の総称のことを能楽といいます。能を一言で答えるとすれば、能は音楽・舞踊・演劇が融合された歌舞劇であり、そして仮面劇であるということがいえます。対する狂言はセリフを主体とする喜劇で、原則的には素面劇です。能と狂言は、もともとは猿楽と呼ばれる芸事から枝分かれした兄弟のような関係にありますが、狂言は人間が普遍的に持っている愚かで愛すべき本質を笑いをもって提示するのに対し、能はもっと深い日本人の精神性を七五調(七音・五音の順番で繰り返す形式。五七調とは対照的に優しく優雅な感じを与えることを特徴とする。主に古今和歌集に使われている。)を基本とする詩でできたセリフで、謡(うたい)という声楽によってすべて表現する形式なのです。

 

<能の魅力>
能は理屈の世界ではなく身体で感じ、ありのままを受け止めるものです。初めて鑑賞される方は寝てしまわれることがほとんどですが、それもまた一興でしょう。頭で理解するのではなくて、まずは身体で雰囲気を感じていただければ幸いです。

 

能楽は現存する最古の演劇といわれています。約650年という悠久の時を経て、なぜ能が語り継がれてきたのか。それは「能は日本人の心の原点」だからではないでしょうか。生命へのやさしいまなざし。それこそが、観阿弥、世阿弥によって到達した能の世界です。

 

もともと能は、神を招き、神にみていただく素朴な舞いが、その源流となっています。能の根本は「供養」です。能が描くのはその社会で最も弱い人間です。殺された者、病んでいる者、深く傷つけられた者、周縁に排除された者たちを選択的に描いています。弱く醜く、人々から忌避されるような者が、強者に追われてついに非業の死を遂げるという話がとても多いですけれど、それは彼らを供養するためなんです。基本的に成功譚は能にはないです。ほぼ例外なく、能の視点は死者、病者の側です。能は、鎮魂の芸能であると同時に、生命の讃歌なのです。

 

舞台にはまず主役である「シテ」がいます。能においてシテというのは、要するに「する人」という意味で、能という芸能を「する」のは、ただこのシテ一人に集約されています。シテ方には、観世、宝生、金春、金剛、喜多の五流があります。そしてシテと語りあいをしながら、時には舞台の進行役となる「ワキ」がいます。さらに笛、小鼓、大鼓、時には太鼓も加わるオーケストラとしての囃子方、総勢8名で構成されるコーラスとしての地謡がいます。さらに実は舞台上にはもう2人、「後見」と呼ばれる者が舞台向かって左奥に控えています。その舞台で行われることのすべてに責任を持ち、その一曲を無事終わらせることを任務とし、総監督を勤めるのが、この後見なのです。

 

そのほかに、シテが連れて出てくる「ツレ」やら、ワキが連れて出る「ワキツレ」、狂言回しとしての「アイ(間狂言)」などが全体として能楽を形成するのです。

 

演劇というカテゴリーの中で、能にもっとも特色的なことは「演出家がいない」ということ。何をテーマに、どんな言葉で「物語る」かということも、 それをどのように「謡う」かということも、また舞台の上でどんな型で「舞う」かということも、すべて能役者の双肩にかかっているのです。

 

いかなる能も本番前にただ一回「申し合わせ」という名のリハーサルをするだけ。世界中にこれほど形而上的で、これほど濃密な、そしてこれほど完成された演劇がほかにあるでしょうか。思えばおそるべき芸能を、私たちの国は生み出したものです。それは幾多の芸能の本質が、既に決定された物事を繰り返しうるという虚像に過ぎないのに対し、能楽だけはその公演をただ一度きりのものと限定し、そこに込められる精神は現実の行動に限りなく近しいとされているからなのです。 

 

現在上演されている能の曲目を「現行曲」といい、だいたい200曲前後です。そのうち実際に鑑賞することができるのは実質100曲程度。これらの曲の多くは、いわゆる「複式夢幻能」と呼ばれる二部構成になっています。これは世阿弥が考案したスタイルです。この「複式夢幻能」は、最も能らしい能といえ、その性格をよく示すものです。

 

<能の構成>
まず「諸国一見の旅の僧」が登場します。これは全国の名所・旧跡を訪ね歩いている僧で、ワキ方が演じます。一日を旅に費やし夕暮れ近くにある土地に到着、その土地にまつわる物語などを思い起こしていると、いわくありげな人が通りかかります。そして、僧に向かって問わず語りにその土地の由来や物語などを語り、自分こそがそこに描かれた当の主人公であると明かして消えていきます。ここまでが前段で、シテはいったん舞台から姿を消して、「中入り」となります。旅の僧が弔いつつ、疲れて眠りに落ちると、先の人が生前の姿で現れます。過去のいきさつを語り、舞を舞い、僧侶の供養を頼みながら消えていきます。ワキの僧はそこで目を覚まし、今見たものは夢であり、自分はひとりそこに残されていることに気付くというところで、一曲が終わります。舞台が前後半に分かれ、夢の世界が展開されることから「複式夢幻能」という名前が付きました。

 

<能面の意味>
能では若干の例外を除いて、神仏・鬼神・亡霊・精・天人など、異界からの来訪者に面をかけることが一般的です。人間国宝である故・観世静夫によれば「能の役者というのは、常に冥暗の世界と現世との中間にただよう霊魂のようなものだから、何か思いなり訴えなりを、安心して託し、託すことによって、ある呪術力を持たせて貰えると信ずることのできる相手がなくてはならない。それが能面なのだ。」−能面は単なる扮装の道具にとどまらず、能役者に一種の「変身」のパワーを与える呪物であるというわけです。また観世静夫はこうも言っています。「観客に対するときの表玄関であるオモテ(能面のこと)、その能面のウラの暗闇の中に能役者は姿を隠している」のだと。能面の眼の穴は非常に小さく、面をかけると極端に視野が狭められます。しかも、能面はちょっとでも顔を動かすと「表情」を作ってしまうので、方向を定めるのも容易なことではありません。まさに面をかけた能役者の体は闇のなかで、絶体絶命の状態に宙吊りにされているのです。能の代名詞ともいえる能面。オモテの内側は異界、すくなくとも異界への入り口であり通路で、そこに入ることで能役者は異界の者になります。能面のウラの闇には異界の者と能役者の激しい鬩ぎ合い(せめぎあい)があり、それがほんらい無表情の表面に表情を超えた微妙な変化を与えます。各演目のなかでオモテがどんな表情を見せるのか、能の大きな見どころのひとつでもあります。

 

<能舞台について>
舞台は省略の上に省略を重ねたきわめて簡潔なものとなっています。具象的なものを徹底して捨て去ることで、能は、舞台上に純粋な情念の世界を表出することを可能にしました。観る者は、どのような具象的な物にも邪魔されることなく、そこに表現されている情念そのものを受け止めることができるのです。省略し、余白をつくること、その余白に物語らせること、これは日本の絵画において用いられる技法であり、一輪の花にすべての花の美しさを託した茶道の精神も、同じ美意識の発露といえます。表現し尽くさず、何も描かれていない余白を作者と鑑賞者が想像力の限りを尽くして完成させる、それが日本の美の精神であり、能がマイナスの芸術と言われる由縁です。

 

実は能の発生の頃には舞台は野外が基本的でした。現在見られるような能楽堂の形式は明治以降、もとは有力な演者の屋内の稽古舞台であったものが次第に一般的な演能にも使用されるようになったのです。

 

能舞台を初めて見る人は視界を遮る邪魔者の「柱」の存在を苛立たしく思うかもしれません。しかし、本舞台を支える四本の柱こそが能舞台の空間構造=空間の力学を性格づけている最も重要な要素なのです。シテ柱・目付柱・ワキ柱・笛柱という四本の柱によって空間の<垂直>方向の力線が生まれます。この垂直方向の力線は能役者の身体の垂直性(歩行から個々の型に至るまで基本的には垂直方向の軸線から外れることがない能役者の「立つこと」の充実)を補強する役目を果たします。動きが極限まで洗練され、様式化された能の演技のなかでは、ただ立っていること、ある場所にいること、ある方向へ向かっていくことなどがそれだけですぐれて雄弁な表現となりうるわけですが、柱は<位置>や<方向>を際立たせる平面の座標軸ともなり、「立つ」「居る」「止まる」「通過する」あるいは「向かっていく」といった身体の運動はそれぞれ性格の異なる4つの定点としての柱を基準とすることで空間に定位され、劇空間のなかで意味を持ち、生きた表現となります。能役者は常に、四本の柱を枠として縦横に引かれた見えない力の網目のなかで(視覚上の平坦さとはうらはらに四本の柱の生み出す異なる磁場が起伏をおりなす舞台の上で)劇空間における自らの位置を決め、空間を身体化していくのです。

 

橋掛リも能においては決定的に重要な装置で、長さと角度はそれぞれの舞台で異なりますが、特に登退場の演出で効果的に使われる演技空間です。ここでも<位置>と<空間>は重要で、橋掛リのどこにどう立つかでシテの心理の綾や本舞台との関係が描き出されます。

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演目の概要

演目① 高砂 〜名曲に匿された意味〜
世阿弥作
前シテ・・・老人
前ツレ・・・姥(うば)
後シテ・・・住吉明神
ワキ・・・阿蘇の宮の神主
ワキツレ・・・同行の神職
アイ・・・高砂の浦人

【あらすじ】
九州阿蘇神社の神主友成(ともなり)が京都へ上る途中、播磨国の高砂の浦に立ち寄ると、松の木陰を掃き清めている老人夫婦に出会います。高砂の松とはどの木か、ま、高砂・住吉の松が遠く国を隔てて生えているにもかかわらず「相生の松」と呼ばれるのはなぜかと尋ねる友成に、老人は、今自分が掃き清めているこの木がその高砂の松だと答え、自分は津の国住吉の者、姥は播州高砂の者だと語ります。老人夫婦が遠く離れた場所に住んでいることを不審に思う友成に、老人は、住吉と高砂の松ですら「相生」という名を持つのであるから、まして自分たち夫婦の住む場所がどれほど遠く離れていようとも、妹背の仲に変わりはないのだと教えます。高砂の松・住吉の松はそれぞれ『万葉集』と『古今集』になぞらえられていること、松の葉はすなわち和歌の言の葉で、天下泰平の象徴に他ならないことなどを語った老人は、なおも松にまつわるさまざまな故事を物語ります。やがて老人は、自分たちこそが高砂・住吉の相生の松の精であると正体を明かし、友成一行を住吉で待っていると言い残し、小舟で沖へ漕ぎ出してゆきました。

高砂に住む浦人から高砂と住吉の松が相生といわれる子細を聞いた友成は、浦人が新しく造った船を借りて住吉へと向かいます。すると、約束通りに住吉明神が姿を現して和歌を詠じ、春の景色を賞(め)で、舞楽の秘曲を尽くして舞を舞い、泰平の御代を祝福するのでした。

 

演目② 松風 〜永遠の恋を描いた人気曲〜
観阿弥改作
シテ・・・海女(松風の霊)
ツレ・・・海女(村雨の霊)
ワキ・・・旅僧
アイ・・・須磨の浦人

【あらすじ】
旅の僧が須磨の浦で曰くありげな松を見付け、かつて須磨に流された在原行平(ありはらのゆきひら)が愛した松風・村雨という姉妹にゆかりの松だと浦人から聞かされます。月の美しい秋の夜。汐汲車を曳き、月夜に興じながら汐汲みから塩屋に戻ってきた二人の海女に一夜の宿を借り、僧が磯辺の松を弔っていた話をすると、二人は涙を流します。不審に思って僧が理由を尋ねると、二人は自分たちこそ松風・村雨だと名乗り、昔語りを始めます。そして行平の形見の烏帽子狩衣を身につけた松風は狂おしく舞い、行平の名を呼び松に寄り添うのです。妄執の罪に沈む姉妹は僧に弔いを願い、夜明けと共に姿を消します。後には松風の音が残るばかりでした。

 

演目③ 千切木(狂言)

【あらすじ】
日頃から皆の嫌われ者である太郎。この度、連歌の会が催されることになりましたが、当屋(今回の催しの幹事)は「あいつは呼びに行くでないぞ」と言いつけます。立衆と呼ばれる連歌仲間たちも心はひとつ。太郎だけは途中で誘い合わせずに当屋の家へやってきます。さて、楽しい連歌の会。早速、皆で歌を考えているところに、どこから嗅ぎつけてきたか太郎が乱入。他の者たちは、荒波を立てまいと無視を決め込みます。相手にされないからと言ってか、そもそもの性格なのか、太郎の悪癖がエスカレート。飾ってある花を貶したり、掛け軸を見ては「ゆがんでる」と言い、硯、文台と目に付くものは全てケチをつけるような有様。いよいよ腹に据えかねた一同は、皆で示し合わせて太郎を打ち据えます。つまり踏んだり蹴ったり。目を回して倒れているところへ、現れる妻。夫が恥を掻かされていると聞きつけ駆けつけたのでした。その姿を見れば、手には太刀と棒(千切木)を持っています。「恥なんて掻かされてない」と強がりを言う太郎の袖を掴み、「この汚れは何?!」と尋ねる妻。太郎「身共には定まった紋がないので、皆が付けてくれた」と見え透いた言い訳。夫が草履で足蹴にされるとは情けないし口惜しい。妻「仕返しをするのよ!男が踏みつけられるなんて一生の恥。死ぬ思いで討ち果たしてきなさい」と言えば、太郎「死んでは元も子もない。身共の名代として行って来てくれ」とさらに情けない始末。それならば私も一緒に行く、というので夫婦揃って報復に出かけるのです。一番。いざ当屋の家に付き、名前を呼ぶと「留守!」。二番目も三番目の家に行っても「留守」。留守と聞いては威勢がよくなった太郎。散々棒を振り回し、声を張り上げて強がりを言います。それを喜んで見ている妻。最後は謡でしめて、夫婦仲良く家路に着くところで終わります。

 

演目④ 石橋(しゃっきょう) 〜石橋は叩いても渡れない〜
作者不明
前シテ・・・童子(もしくは老人)
後シテ・・・獅子
ワキ・・・寂昭法師
アイ・・・仙人

【あらすじ】
唐に渡った寂昭法師が、文殊菩薩が住むという清涼山(しんりょうせん)にやってきて石橋を渡ろうとすると、ひとりの童子に止められます。この橋の幅は一尺もなく、長さは三尺、谷の深さは千丈あまりで人間が渡ることなどできはしないと教える童子は、石橋の謂れなどを語り、橋の向こうは文殊の浄土であるから奇瑞(きずい)を待つようにと告げて姿を消します。やがて文殊菩薩に仕える霊獣の獅子が現れ、紅白の牡丹の花に戯れながら舞い遊び、御代を祝福して舞い納めます。

 

<まとめ>
本来、演能は五番立てといって5曲以上の演目で構成されることが常でした。しかし昨今は五番立てで上演されることの方が稀になっています。この五番立てには規則性があって、一番目物は脇能ともいわれ、神が登場して泰平を寿ぐ舞を舞ったりします。今回の演目でいうと「高砂」がこれにあたります。二番目物は修羅物ともいわれ、平家物語に題材をとったものが多く、武者の幽霊が出てきて生前の勇壮な戦いぶりを見せた後に修羅道に堕ち、修羅の責め苦と闘う能で、織田信長がこよなく愛したことでも有名な「敦盛」などが一般的です。三番目は女物で鬘物(かずらもの)とも呼ばれ、「伊勢物語」や「源氏物語」に題材をとった女性を主人公としたものが多く、いわゆる幽玄の極致といわれる能です。今回の演目だと「松風」がこれに該当するでしょう。四番目物は現実の人間の世界を描くので現実物ともいわれ、他とは雰囲気の異なる、ストーリーの面白さに重きを置くものが一般的で「鉢木」などが有名です。五番目物は切能といわれ、鬼や天狗が出る活劇物。今回の「石橋」は入門書などにも必ずといっていいほど紹介される定番の演目です。

 

よく言われることですが、能は省略を美とする演劇です。舞は三十にも満たない基本型を組み合わせ単純化された動きですべてを表現します。極限にまで無駄を削ぎ落した能ならではの所作の美しさ、様式美をぜひ肌で感じて、ご堪能いただければ何よりです。

 

 

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能はこんなに面白い!

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能ナビ ~誰も教えてくれなかった能の見方~

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