近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

世の中は紛いもので溢れている

世の中は紛いもので溢れている。真実ではない、真実の皮を被った贋作たち。残念ながら、あんたが信じているものの大半は紛いものだ。食品、ブランド、芸術、身に付けた教養、感動で涙を流した本の著者、趣味で教わった習い事、無垢な信仰心を求める宗教、拝金主義の成功者たち…

 

そうしたもので構成された社会では、常に何が本当で、何が本物なのかを疑心暗鬼になりながら問い続け、生きていかなければならない。または紛いものであることに目を閉ざし、逃避的な享楽に身を委ねて、紛いものに満足して生きていればいいのだから世話がない。実際、ほとんどの大衆はそうして生きている。もしもそれが息苦しいのなら、生き方を変えるのは簡単なことだ。「自分」という軸を持てさえすれば、真贋に惑わされずに生きることができるのだから。

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THA BLUE HERBというヒップホップ・ユニットがいる。もう20年もの間、日本のヒップホップシーンに異議を唱え続け、今なおインディペンデントに活躍している。このユニットが革新的だったのは、脳天気なパーティーチューンが席巻していたシーンに対して、アブストラクトでダウナーなベーストラックに、きわめて辛辣でありながらウィットに富んだ刺激的な言葉のギミックを、滔々と語りかける独自のスタイルで勝負を挑んだことだ。MCのILL-BOSSTINOが吐き出す言葉は、いつだってそうした欺瞞を暴き真実を描き出している。


THA BLUE HERB "ASTRAL WEEKS / THE BEST IS YET TO COME"【OFFICIAL MV】

 

さらに彼らが特異だったのは、出身地である北海道・札幌という地にこだわり続け、けっして体制側である東京に組み込まれることがなかったということだ。つまり商業的な成功を求めるなら東京へ、という既成の概念を覆し、アンダーグラウンド・レジスタンスとして地方からコンテンツを発信し続けている。よもや音楽的な嗜好を越えて、素直にその潔さと一貫性に敬意を表する。先日発売されたばかりの5枚目となる最新アルバムも音楽配信全盛の今にあって、CDフォーマットのみの流通で勝負しながら瞬く間に初回生産分は完売。もはや異端が「王道」になった、と言うべき事態だろう。 

THA BLUE HERB

THA BLUE HERB

 

 

尖るなら徹底的に。中途半端じゃダメだ。何事も和をもって尊しとなす日本の文化は、極端なほどに出る杭、異質なものを嫌う。その結果、大多数が好むもの、大多数が望むものがマーケットシェアを握り、フォーカスが当てられる。ときに黒いものでさえも白いと言わざるを得ない状況までつくり出す。しかし、たとえ大多数に阻害されようとも、不退転の覚悟で何度も何度も挑戦し続け、愚直に挑み続ける。それこそが異端であること、正論であることの証明であり、貫きとおすことでのみ、その言動が正義へと変貌する瞬間が訪れる。異端に焦がれる者の多くが自らに敗け、大勢に屈してしまうからこそ、やり続ける者だけが光り輝くのだ。

 

最近、NHKの番組で山本耀司というデザイナーを知った。もちろん、存在自体はもともと知ってはいたが、その人となりや思想に関してはまったくといっていいほどの無知だった。だけれども、たまたまテレビで目にした彼に対する共感の源は、今でこそモードの最先端として扱われている彼のクリエイションが「反モード」としてのアンチテーゼだったという異端の姿にある。人生の酸いも甘いも経験してなお、「苦しみながら服を作り続ける」と語り、「一日に何回も、ファストファッションで買い物するなんて、少しは疑問持てよ。一着の服を選ぶってことは1つの生活を選ぶってことだぞ」と喝破する、御年75歳の反骨の人生に学ぶべきものは多く、数少ない文献のなかでも以下の語り下ろし著書は、「超」が附くほど刺激を受けまくるマイベスト啓発書の一冊となった。

服を作る 増補新版-モードを超えて (単行本)

服を作る 増補新版-モードを超えて (単行本)

 

 

世の中は紛いもので溢れている。紛いものがもて囃され、真実が直視されない現実。そもそも愚鈍な大衆は、本物なんて端から求めちゃいない。だからこそ、能書きはいらない。異端であることを恐れるな。黒いものは容赦なく黒いと笑い飛ばせ。大勢が強要する馴れ合いや妥協に取り込まれるな。出る杭は徹底的に出てやればいい。本物を見抜く眼を養え。真実に耳を澄ませろ。凡人であることに自覚的になるな。自分だけの武器を磨け。生き様を表現しろ。何者にも侵されぬ世界観を創り出せ。自らの「勝ち」を定義する美学を持て。紛いものには決して満足するな。真実はいつだってシンプルだ。

 

俺がこのブログで書いている記事の真意を見抜く御仁は僅かだ。大多数の漂着民は表層的なトピックだけを貪り、ヒロイックに陶酔することで気持ちよく酔ってお帰りなさる。これは仕方のないことだ。だけどもささやかな反抗の意味を込めて、俺は一読すると扇情的な文章のなかに、それと解らぬ毒をいくつも忍ばせる。ただ消費されるだけの情報には成り下がらない。読み逃げするだけのヤツらにはそれと理解できぬ符丁(コード)を埋め込み、罠にハマればほくそ笑む性悪な俺がいるのだ。だからこそ、同志諸君よ。願わくば他者の文章と向き合うときは、それなりの覚悟を持ってお読みになられるように。

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己が信じたいという願望にではなく、自分が暗黙のうちに信じきっているものに疑いを向けるべきだ。世の多くの人たちは真実に目を背けたまま、自分の理解できる範囲内の世界にだけ触れることで人生を終える。人間という生き物は自分が経験したことのないことは理解しようがないのだ。さらには自分にとって都合がよく耳障りのいい情報は鵜呑みにするのだが、批判的で理解の及ばない情報には疑いの眼を向けるものだ。

 

こうした人たちで質(たち)が悪いのは、自分の理解の及ばぬことに対して、思考を停止させ、周囲の人たちの反応を見て判断を委ねてしまうことだ。判断を委ねる程度なら、まだ救いはある。一番の害悪は最初から様子見を決め込み、評論家のように他人を批判するだけで自分は何も行動しようとしない人間だ。一歩の歩みには人それぞれに要する時間と重みがある。だけれども、その一歩を踏み出そうとする姿勢、勇気にこそ意味がある。そんな人たちを冷ややかに黙視しつつ、傍観するだけの非干渉なヤツら。困難から逃げているだけの大多数の者たち。

 

せめて…これを読んでいるあんたは、そんな人間には成り下がるな。

何が本当で、何が本物なのかを見極め、自分で判断できる思考を身に付けろ!

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