近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

擦過者の視線 : マレーシア見聞記

半年の沈黙を経ての投稿になってしもたよ…その間に何があったのかは、また後日談として。先月の話、商用でマレーシアに行ってきた。厳密にいうなら「旅」なんかではなく、視察とでも呼ぶべき「出張」だったんだが、すさまじい発展を遂げている新興国であり多民族国家ならではの雑然としたミクスチャーな文化の集積として目にするものすべてが新鮮に映り、どこを見ても絵になるという始末で。いや、もしかするとすべてが整然と並び秩序と効率が支配する俺の知る世界こそが錯覚で、目の当たりにしているカオスが世界の真実の姿なのかもしれない。そんなことを思った。

 

なによりマレーシアはイスラム教国であり、俺自身、幼少の頃以来となる(成人してからは初の)ムスリム文化圏だったこともあり、すべてが未知っていうのが事実だったわけで。とはいえイギリス連邦加盟国で旧植民地ということもあり、宗主国の影響も色濃く残っているし、マレー系、インド系民族の他、プラナカンに代表される華人系の比率も高いから、それぞれの文化が渾然一体となって集約されており、平和ボケした母国で固定化した価値観が刺激され感性が研ぎ澄まされることとなった。

 

クアラルンプール、シャーアラム、クランなど数都市を見聞する忙しい行程の合間を縫ってせっせと写真を撮ってはいたんだけど、さすがに時間的余裕がなく、明確なビジョンのもとに意識的に撮っていたわけでもなく、フレーミングを完全にコントロールしきれなかったのが実際のところで。かなりノイズの多い画像になっている。

 

しかしながら帰国して見返してみると、さすがに写真家としてのセンスはそう簡単に失せてはいないようで、それはそれで味わい深く、まがりなりにも「作品」と呼べる一群になっているように思えた。以前に自分の作品を公開した記事と同じくテーマは文明と非文明の「Border:境界線」、そして文明社会に浸透しつつある資本主義の痕跡、その行く末を暗示するものになってはいないだろうか。

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まー、その解釈は見てくれてるあんたに委ねるとして結果論ではあるけど撮りながら、見ながら、おそらくは潜在的に俺が思った問題意識が如実に視点として切り取られてるもんで。写真家を廃業したとはいえさ、やっぱ写真って面白くってやめられないんだよな。

 

とはいえ一番衝撃的だったのは、東南アジアの成長余力としてのポテンシャルとそこに息づく人々の生存本能ともいえる力強さ。これだけ閉塞感と混沌に支配されたグローバルな世界の中で、前を見据え、けっして輝きを失わない生活者の目力(めぢから)は印象的だった。なによりも、みんな日々の生活を謳歌してるんだよ。先進国であるはずの日本でも考えられないくらいに人々が躍動している。日本人がもはや失ってしまった「生きる活力」がこの国には溢れている、そんなことを思わずにはいれなかった。できることなら近いうちに観光として訪れて、「人」をテーマにじっくり撮ってみたい。そんな強烈な動機を久々に抱かせてもらった旅になったんだわ。

 

成長著しいASEANへの投資・移住をお考えの方は、ご連絡されたし笑😄

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通過者の視線

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