近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

『キングダム』で学ぶ戦略的チームビルディング

僕は企業や個人における戦略支援を職業領域としており、戦略立案にあたって重要なファクターになってくるのが、いかに“時代の空気を読むか”ということに尽きる。

 

今日の目次

 

時流と世界観

「トレンド」という云い方もできるが、僕がいうところの“時代の空気”については経営コンサルタントとして著名な故・船井幸雄もよく「時流適応」という言葉を使って、ビジネスの極意を「経営の原理原則を守り、時流適応していかなければならない」と語っている。

 

船井氏がいう「時流適応」とは、時代によって変化する「やり方」に適応させる必要があるということだが、もう少しマクロな視点に照らしてみれば、ある時間軸の中で「どうあるべきか」、「どんなスタンスでいるべきか」という「あり方」の問題に帰結する。

 

これこそがまさに僕がいうところの「世界観」であり、「どうあるべきか」を具現化したものがいわゆるビジョン(Vision)に相当するものだ。この記事でかなりミソになる伏線なので、どうか留意して読み進めてみてほしい。

f:id:funk45rpm:20220223172924p:plain

 

『キングダム』から学ぶ最強の組織戦略

さて、そうした時流=世相を映し出す「鏡」として機能するものに、映画やアニメ、ゲームといった娯楽作品が挙げられる。なぜかというと、娯楽作品というのは“共感”を媒介にしてエンタメ世界に没入してもらわないと商品として消費されないからだ。

 

そういう観点から娯楽作品を俯瞰して眺めることで、ある程度の“時代の空気”を読むことができるし、次の時代につながるキーワードが朧げに見えてくる。

 

で、ここからが本題。今一番、世相を映し出す鏡となっているものに、僕は漫画(&アニメ、映画)『キングダム』を挙げたいと思う。『キングダム』については6年前にも本ブログで取り上げたことがあるが、今回はこの『キングダム』を「組織戦略」という観点から取り扱ってみたい。

 

『キングダム』の黄金比的に美しい組織形態

老若男女を問わない社会現象を巻き起こしている『キングダム』。その人気の背景には百花繚乱のごとく現れる魅力的で、個性豊かなキャラクターの多さにあるのは云うまでもないことだと思う。僕自身も作中の桓騎という残虐非道な元・野盗でありながら、始皇帝直属の大将軍として秦の国難を幾度も救うことになるキャラクターが、お気に入りなのだ。その詳細については前述の記事にゆずる。

 

しかしこの漫画の特筆すべきところは、こうした魅力的なキャラクターそれぞれの、濃ゆいばかりに際立った特性を削がずして、遺憾なく発揮できるように設計された秦国の政治体制にあることを最近になって気づかされた。それは戦略学的にも、経営学的にも実に理に適った、美しいまでの組織形態となっているのだ。

 

「戦略の階層」からみた『キングダム』

地政学者の奥山真司氏が提唱する「戦略の階層*1というフレームがある。もともとは国家における意思決定プロセスを、アメリカの著名な戦略家エドワード・ルトワックが整理した分類に、レーガン政権で戦略顧問としても活躍した国際政治学者コリン・グレイが唱えるコンセプトを奥山氏が独自に統合したものだ。

 

この「戦略の階層」に当てはめて『キングダム』の作中の人物たちを整理してみると、僕が云わんとしていることが理解できると思う。

 

f:id:funk45rpm:20220223170549j:plain

 

つまりはこうだ。国の方針やあるべき姿、ビジョンなどの“世界観”を指し示す役割を担うのが、後の始皇帝である嬴政だ。そして為政者である嬴政のビジョンを具現化するために“政策”に落とし込むのが左丞相である昌文君。そして国家の資源を戦争という手段によって最大限に活用すべく、超長期的視点から“大戦略”を立案し運用している昌平君。

 

大戦略的な視点も持ち合わせながら、長期的な視野でいくつもの作戦を束ねる“戦略”家の王翦。稀代の戦術家でありながら戦略家の片鱗も見せはじめた桓騎。同じく戦略家としての資質を開花させながら、いくつもの戦術を縦横無尽に使いこなす“作戦”家の蒙恬。戦争においてもっとも重要な資源である技術を使いこなす、“戦術”家の王賁。そして優秀な兵士であったり兵器によって戦争を支える、“技術”者としての主人公・信や究極の職業軍人である蒙武らが位置するワケだ。

 

『キングダム』と『ワンピース』の“時代の空気”の違い

こういった多彩な才能によって作中の秦国が支えられているわけだが、『キングダム』が他の冒険譚や群像劇とは違う異彩を放っているのは、まったく異なる価値観や世界観、ビジョンをもった強烈なキャラクターたちを、国家運営における合理性によってのみ合目的的にチームとして編成し、利用していることだ。

 

これがどういうことかというと…

 

近年の大ヒット・コンテンツというと代表的なものに『ワンピース』が挙げられるが、「夢はでっかく」「浪漫」「仲間が大事」といったキーワードが示すように、「海賊王になる」という御旗のもとに、それに共感し、同じ価値観を持つ者同士の共鳴を求めて主人公が仲間を探し、コレクトしていくという物語構造になっている。

f:id:funk45rpm:20220223173726j:plain

 

これを現代の経営組織として捉えてみると、まさに社会的ミッションやビジョンを指し示し、それに共感し、同じ目的意識をもった社員一丸でともに成長していこう、という前時代的な“理念型経営”に相当するものだ。

 

それに対して『キングダム』では、まったくの異質な存在である辺境の民族・山の民の楊端和や、一国の大将軍という枠を超え自らの国家をつくろうと画策している王翦さえも、うまく自国のリソースとして活用している。現に趙国侵攻の際、数万人規模の戦争捕虜を独断で虐殺してしまった桓騎に対して、大王・嬴政は軍律違反を咎めるも「今はまだ、あの男の力が必要だ」として不問に付すのである。

f:id:funk45rpm:20220223171537j:plain

 

これはつまり多様性を受け入れて、異なる価値観、目的や文化を尊重したうえで情報を共有し、最小限のコミュニケーションで必要な職能やリソースを必要な分だけ提供しあう、創発的な自律分散型の“ダイバーシティ経営”に対応しており、まさに現代的な組織形態ということがいえる。

 

まとめ

こうした風潮のなかで僕自身、大事にしている考えがある。某所で目にしたものなのだがとてもいい視点なので、ここでシェアしたいと思う。

 

・人の数だけ「視点」がある

・人の数だけ「正義」がある

・人の数だけ「誇り」がある

・人それぞれ「知見」がある

・人それぞれ「環境」が違う

・人それぞれ「気力」が違う

 

今いわゆる中年にさしかかり、前時代的な価値観にどっぷりだった僕らのような世代には、どうしてもZ世代のような人たちの理解に窮することがある。そうした前世代の人間にとって価値観の変容は如何ともし難く、もはやどうしようもない問題でもあるのだが、そもそも理解なんてものは概ね願望にもとづくものだ。

 

そうした思考の差異自体が、ここでいうところの“時代の空気”を生み出しているとも考えられる。その流れに乗らずともただ耳を澄まし、時代の声なき声に耳を傾ける姿勢は忘れたくない。鴨長明も『方丈記』で次のように記している。

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」とな。

f:id:funk45rpm:20220223171820j:plain