近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

なぜ魅惑的なサッカーが琵琶湖から生まれるのか 〜選手権大会・近江の考察〜

先日、何気なく高校サッカーをテレビで観た。今年はどこが勝ち上がってきているのかと思ってつけた試合が、たまたま神村学園vs近江だった。

 

なんの予備知識もなく観はじめたこの試合で僕の目を釘付けにさせたのは、最後尾3バックの左に位置しながら、試合をコントロールしている近江の金山耀太という選手だった。

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近江の布陣は3-6-1で、かつての3-5-2という中盤に厚みを持たせることでポゼッション重視の際に多用されたシステムから派生したものなのだが、攻撃と守備という2局面の流動性が激しくトランジションが重視されるモダンフットボールにおいては、できるだけピッチ全体で均等に選手を配した4-2-3-1や4-3-3などが一般的になっており、あまり見なくなったフォーメーションだ。

 

そんな今となっては比較的めずらしい部類のフォーメーションにあって、まさに守備の要ともいえるポジションに位置する選手が、ピッチ全体を支配するかのようにゲームメイクしているなんて…。しかも金山のボールタッチやパスセンスは、他の選手と比較しても群を抜いている。まさにリアル『アオアシ』だ。衝撃だった。

 

 

そしてそんな僕の目に狂いがなかったかのように、試合も3-3と競った乱打戦から最後は4-3で近江が競り勝ち、1/6(土)には堀越をも下し決勝進出を決めた。

 

とくに堀越との準決勝では意図的にゴール前でカオスな状態を作り出し、金山だけでなくMF山門やMF浅井に加え、右ウイングのMF鵜戸、FW小山らが変幻自在なポジショニングで躍動しファンタスティックな試合運びで終始圧倒していた。

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高校生が、なんてサッカーするんだ…

 

思い返してみると滋賀県といえば2005年に後の日本代表として活躍することになる乾貴士を擁して「セクシーフットボール」の異名を取り、まさに一世を風靡した野洲高校もまたサッカー戦術の概念を覆し、衝撃を受けたのをよく憶えている。

 

高校サッカーといえば静岡、山梨などの中部・東海地方や長崎、鹿児島といった九州が伝統的に強豪校を輩出してきた。それなのに何故にこうも(県民の方には大変失礼だが)滋賀や近年の青森といった辺境の地から、かくも魅力的なサッカーが生まれるのだろうか。

 

今、高校サッカーに何が起きているのか考えてみた。

 

人的資本 ~どのようにして「サッカー王国」がうまれるのか~

かつて日本の「サッカー王国」として一時代を席巻したのは、我らアラフォーやアラフィフ世代ではなんといっても静岡だった。発足当初のJリーグでも人気選手を圧倒的に多く輩出していたのは静岡だった。そんな静岡も2019年の静岡学園の優勝があるものの、直近20年ほどは1~3回戦で沈むことが殆どだ。

 

この静岡の凋落ぶりを下記のブログが分析しており強豪校の分散や他県のレベルアップなどを理由に挙げているのだが、なかでも興味深い内容が「ユースへの流出」だ。たしかにJ1チームだけでも2チームあり、なるほどプロを目指すなら高校サッカーを経由するよりもユースに行ったほうがよっぽど堅実だ。

sloryman-yobiko.com

 

では何故に静岡がサッカー王国たり得たのかという逆の視点から考えてみると、静岡は世界に冠たるヤマハやカワイなどの楽器メーカーやホンダ、スズキなどの自動車産業が盛んな工業都市で、人手不足に悩むメーカーの労働力として外国人労働者の流入が多い。

 

なかでも人口割合が大きいのがブラジル出身者で、入国管理法上、就労において日系ブラジル人は比較的優遇されるために浜松などの地方都市に定着することとなった。そんな日系ブラジル人たちが母国から持ち込んだものの一つがサッカー技術だった。

 

当然のように移民2世や3世たちと切磋琢磨することにより、地元の子どもたちもサッカー先進国の技術を吸収することになる。そうして確かな技術をはぐくむ土壌が、彼らのホームタウンたる郊外の地方都市に醸成されることになったのだと思われる。

 

では滋賀県はというと、静岡と同様に湖南の工業団地やダイハツ及び関連企業の労働力として外国人人口は年々増加しており、なかでも25.7%を占め最も多いのがブラジル人だという。そのような視点で過去の野洲や近江を見ると、斬新な戦術を成り立たせる確かな個人技が存在している。いや、むしろ個々の個人技の高さを前提にした戦術が敷かれているのだ。

 

とくに近江は「なるべく金山をフリーにさせろ」という前田監督の唯一のお約束ごとの上にチームが存在する。それはあたかもメッシ擁するアルゼンチンの戦術がメッシ自身であるように、現代の精緻にシステム化された欧州型サッカーとは異なる、ある種の奔放でありながら秩序だったカオスを生み出す南米気質が否応なく垣間見えるのだ。

 

モダンフットボール vs セクシーフットボール

驚くべきことに近江の前田監督はサッカーにおいて無名に近かった同校を自身の足で選手をスカウトし、たった8年で選手権大会出場を成し遂げて(本記事執筆時点では)決勝まで駒を進めてしまったという。

 

極度に過疎化が進む現代の日本で資本の移動にともなって人口も首都圏など都心部になるほど大きくなり、高校サッカーにおいても強豪校が分散して寡占化が進む。

 

当然、資本力をもった強豪同士で優れた選手や監督を奪い合うある種の「マーケット(市場)」が成立してしまうので、力はより拮抗することになる。そうすると、戦術的には「どのようにして勝つか」よりも「いかに負けないサッカーをするか」を志向するようになる。

 

であるからこそ、強豪ひしめく都心部で監督は下手な「挑戦」はできなくなり、最新サッカー理論を踏襲した理詰めのパッケージ化された戦術しか志向できなくなる。

 

そこへいくと地方であればあるほどに競合の数が相対的に減り、優れた指導者にとってはより自由な発想で自身の理念を体現したサッカーを追求しやすい環境となる。そうした理想に燃える指導者は選手にとっても魅力的に映るのは当たり前で、必然的に地方の優秀な監督のスカウティング能力が高まる結果となる。

 

そのような環境にあって前田監督の自由な発想のもとに生み出されたのが、近江の可変システムによるトランジションの速さを前提にした無秩序(カオス)を作り出すサッカーだったのだろう。

 

ある意味で近江の戦術はうまく野洲の個人技を主体とした「セクシーフットボール」を継承しながらも、クロップによる「ゲーゲンプレス」と通奏低音するところもあり、他に類を見ない「新しさ」がある。

 

かつての「近江国」は、東海道や中山道、北陸道など主要な街道が交わり、琵琶湖の水運もあって歴史上たびたび重要な役割を果たしており、「近江を制するものは天下を制す」といわれた。そのため資金力こそが天下を掌中にする最大の武器であることを見抜き、地位や名誉よりも商業都市を欲した織田信長は、古来より畿内と北国間の交易港として京都への物流の要だった大津と、東海道と東山道(中山道)が合流し東国への要衝であった草津の物流ルートの支配にこだわり、近江を後年の本拠地とした。

 

こうした地政学的な所以からみても今、異色の近江が高校サッカーにもたらした変革の波はおもしろい。しばらく近江高校のサッカーから目が離せそうにない。