近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

戦略原論 ~戦略的なるものの正体~

世の中を支配する真理みたいな、絶対的な法則性が存在するんじゃないか- 20代の頃、おぼろげながらにそう考えてた。

 

その真理を構成する因子さえ理解してしまえば人生の勝者になったも同然、とばかりに盲信した俺は古今の戦史を紐解いて軍事研究に勤しむようになった。きちんとした戦略眼を身に付ければ知識社会を貫く真理を見とおすことができ、あらゆる物事の絵図が描けるようになるのではないか。それは最大の武器になる。若かりし頃、そう思った。

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日本人はとかく“戦略”というワードが好きだ。ビジネスの現場でも日常的によく飛び交っている。ところが多くの人が指す“戦略”なるものは、きまって作戦レベルの話だったりする。

 

ところが“戦略”という語は非常に抽象度の高い概念であり、その実、「アート」の領域に属する知性的世界の仮想現実なのだ。アートとはつまるところが創造物で、感性に依るところが大きいので再現性がない。だからこそひとつとして同じものは存在せず、模倣されてしまえば途端に価値を失う。

 

余談ながら戦略がアートを必要とするように、アートもまた戦略を必要とする。冷酷にアート市場をマーケティングすることで自らの作品に還元し、戦略的なアートを構築し続けている村上隆がそれを証明しているわけだけど。

芸術闘争論

芸術闘争論

 

 

話は戻って、それでは本来的な戦略とは何なのだろうか。これはもう古今の偉い政治学者やら戦略思想家がいて、それぞれに議論を展開していて意見の一致をみない事柄なので厳密な定義をすることは避けたい。ここではより普遍的な人間の目的意識にフォーカスして生存闘争の生き残り方、優位性を築くための方策としておきたい。

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 奥山真司・著『世界を変えたいなら一度"武器"を捨ててしまおう』より

 

そんな戦略という観念を生みだしうるのに必要な能力とはなにか。ずっと戦略というものを考えながら様々な文献を読み漁り、多様な経験を経た現時点での俺なんかが戦略家に必要なエッセンスを抽出したら次のような公式に行きつく。戦略=創造性×構想力×大局観。それこそ、要件定義も人によってはというところはあるのだが、ここでは主観に則ってそれぞれの要素を見ていこう。

 

①創造性・・・そもそも闘争を生き抜くには、あらゆる関与者が思いもよらない方法でなければならない。戦略論の原典ともいうべき孫子の有名な一節「兵は詭道なり」はまさにこのことを言っていて、大前提として他者の盲点を衝く斬新な発想でなくては生存確率を最大化することはできないのだ。これが「戦略=アート」たる所以で、そのような創造性を発揮するためにはテクノロジーやフレームワークなどの手段ではなく、とことんまで目的にフォーカスした思考様式が必要になる。

 

②構想力・・・いかに斬新な方策を思いついても、それを実行できなければ意味がない。案出した方策を実現可能な形態素に切り分け、誰もが実行できるレベルにまで細分化しなければならない。さらには実行する際に敵の抵抗も予想できる。予測にもとづいて細分化した物事を類型化(パターン化)して対処策を練っておかないとダメだ。微に入り細に入る緻密な思考が必要で、それはあたかもプラモデルを分解して再び組み上げるかのような作業なのだ。

 

③大局観・・・将棋の世界に「四つの香車」という言葉がある。香車という駒は対局前、盤面の四隅に配置される。ここに気を配ることで視座を高く保とうとする先人の知恵だ。戦略を実行し成功させるには局地だけを見ていては大勢を分析できないし、ある一時点にだけフォーカスしても優位性はすぐに失われてしまう。物事を広く大きく俯瞰して判断する能力が必要で、戦略家に求められる能力のうち実はこれが一番難しい。なぜなら俯瞰するにも分析するにも経験が必要となるからだ。しかもそれは偏った経験ではなく、なるべく多様な経験でなくてはならない。でなければ、多様なシチュエーションでの予測ができないのだ。またクラウゼヴィッツが指摘する"戦争の霧"のような、非対称で不確実性が高い局面をやり過ごすだけの胆力もここでは必要になる。

 

さらっと3つの要素に凝縮したが、戦略の構築には実に様々な能力が複合的に要求される。たとえば不測の事態への対応力やリスクの認識能力など。なかでも特筆すべきは戦略とはまだ起きていない事象をコントロールしようという本来的には妄想する力、つまりストーリーテリングの技術であって、事実上フィクションとしてのシナリオ構築を指す。ストーリーを描くには、そのストーリーに関与するであろう利害関係者に対して、その戦略が及ぼすであろう心的影響までをも考慮に入れなくてはいけない。

 

中国特有の自然観から孫子を大胆に読み解いた、デレク・ユアンの著書『真説 - 孫子』にはこう書かれている。

孫子は戦争が「複雑系」であり、そこにはダイナミックな人間の要素が存在し、この人間の要素をコントロールすることによって、システム全体(即ち戦争)をコントロールすることが可能であると理解していた。-P.173

 

つまり、戦略という名のフィクションを描くためには、ストーリーに登場する人物、またそのストーリーのオーディエンスを含めた圧倒的多数の他者の心の声までをも想定しておかなければならないのだから、そこには実感というものが必要になる。そして、その実感を得るのに必要なのが圧倒的な経験則なのだ。描いた戦略、そこに経験にもとづいた実感が込められていないと、まさにただの絵に描いた餅になってしまう。

 

戦略立案には経験が必要なことは世の共通理解としてあるのだけれど、それは戦略を学んだ経験でなく、戦略を練る経験でもない。人生経験の多様性が必要とされるのだ。いろんな環境や境遇から得た生身の人間の声や感情、それらの実感がポジティブフィードバックとして作用し戦略に投影される。実行したときに社会や周囲の人々にどのような影響が波及するのかまで練られたものが、いい戦略といえるのだ。ただのブルジョワジーや頭脳エリートに戦略は描けない。

 

だからこそ大戦略家と伝えられる人々、たとえば『三国志』における軍師・諸葛亮孔明や『項羽と劉邦』の武将・韓信らの物語の多くは市井の人として隠遁しているところからスタートする。路傍の、声なき者たちの声に耳を傾け、実体験として小市民の営みの中に生きているわけだ。そのような経験があるからこそ、彼らは名もなき貧民にまで感情移入することができ、権謀術数に優れ、人心を掌握する術にも長けている。

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戦略はサイエンスに非ず。戦略とは闘争における文学であり、生き方のデザインなのだ。

 

大局観  自分と闘って負けない心 (角川oneテーマ21)

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真説 - 孫子 (単行本)

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