近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

霊性と情熱のあいだ ~映画は『森』をどう描いたか~

久しぶりに映画を観た。数年前までは単館系の映画を中心によく観ていたのだが、最近はめっきり映像作品から刺激を受けることが少なくなり、映画館から足が遠のいていた。そんな折、河瀨直美の新作が上映されているという話を聞きつけネットで調べてみたら妙に期待感そそられるティザー映像にやられてしまい、重い腰を上げた次第で。


映画「Vision」予告映像

 

フランスの大女優ジュリエット・ビノシュを主演に迎え『Vision』と題された今回の新作。3代目J Soulの岩田剛典がキャスティングされていたり、EXILE HIROがエグゼクティブ・プロデューサーに名を連ねていたりと、よくも悪くもLDH色に染められた異色の商業作品で、どちらかというと否定的な批評が指摘しているとおりにやや短絡的すぎるエンディングではあったものの、妙に考えさせられる部分もあって個人的には存外悪くない視聴体験だった。

f:id:funk45rpm:20180727131026j:plain

 

初めて観た河瀨作品は彼女自身のルーツでもある奄美大島を舞台にした『2つ目の窓』で、素晴らしすぎて衝撃的だったのを昨日のことのように憶えている。これはドキュメンタリー作品ですかってくらい、キャストとカメラの距離感が近い映画だなっていうのが第一印象で。表層的には高校生の男女を描いた青春映画ではあるんだけど、その深層には自然と人間、老いと若さ、生と死といった人類普遍の“いのち”をあつかった重厚なテーマになっていた。

2つ目の窓 [DVD]

2つ目の窓 [DVD]

 

 

一貫して自然をとおした人間の姿を描き続ける河瀨の新作『Vision』もまた、生まれ故郷であり現在も生活の基盤を置いている奈良県は吉野の神秘の森を舞台にした人間存在のルーツに迫ったヒューマンドラマだ。その内容を公式サイトから拝借すると、以下のような導入になる。

紀行文を執筆しているフランスの女性エッセイスト・ジャンヌ(ビノシュ)が奈良・吉野の山深い森を訪れる。彼女は1000年に1度、姿を見せるという幻の植物を探していた。その名は“Vision”。旅の途中、山守の男・智(永瀬正敏)と出会うが、智も「聞いたことがない」と言う……。ジャンヌはなぜ自然豊かな神秘の地を訪れたのか。山とともに生きる智が見た未来とは―。

 

現在・過去・未来のさまざまな時間軸が不意に挿入され、なんとも不思議な構成によって物語が進行するのだが、序盤で圧倒されるのはなんといっても森の声を聴くことができるシャーマニスティックな女性・アキを演じる夏木マリの怪演だ。極限まで肉と髪を削ぎ落としノーメイクで臨んだ徹底した役づくりと迫真の演技で、1000年の時を生きる女性を演じ切った。この映画の最大の見どころはこれに尽きると思う。

f:id:funk45rpm:20180727132228j:plain

 

夏木マリの神懸かり的な演技と対になっているのが、あたかも意思を持っているかのような美しくも峻厳な自然の描写だ。ただじっと人間の様子を見守りながら、ときに猛威となって牙を剥くことさえある豊かな森の表情。そんな河瀨ならではともいえる自然の目線から人間の営み、そして破壊と再生を俯瞰していくという物語構造になっているのだ。

f:id:funk45rpm:20180727132255j:plain

 

思えば森というのは、太古の昔から人類の畏敬と憧憬の対象でもあった。『Vision』はどちらかというと憧憬としての森の神秘性が描かれているのだが、畏怖と迷いの象徴として森を描いた傑作が過去にあったなと思い返してみて不意に想起したのが、石井聰亙(石井岳龍)監督の『五条霊戦記 GOJOE』という2000年公開のカルトな映画だった。

五条霊戦記//GOJOE [DVD]

五条霊戦記//GOJOE [DVD]

 

 

源義経と弁慶の京都・五条大橋での邂逅は有名な逸話だが『五条霊戦記』はそれを換骨奪胎して、強力な霊力を持つ妖魔となった遮那王(義経)と修験者の弁慶が繰り広げるソードアクションという、夢枕獏も顔負けの新たな解釈で史実を切り取った歴史改変SFだ。

f:id:funk45rpm:20180727131407j:plain
 

天命を受けて都に出没するという鬼退治に執心する弁慶役に隆大介、殺人鬼・義経を妖艶に演じるのが浅野忠信、2人の対決を見届けることになった元刀鍛冶・鉄吉役を熱演するのは永瀬正敏という豪華キャストでありながら、思弁的なセリフと全編にわたる暗く陰気なトーンが地味な印象を与え、世間的には失敗作のレッテルをはられた映画である。

 

しかしながら、平安末期のダークサイドを宗教的観念でとらえなおした斬新な発想とスタイリッシュで退廃的な映像世界が好きで、この映画もまた俺の中では記憶に残る邦画のひとつになっている。で、この映画の中で主戦場になっているのも、やはり「森」なのだ。弁慶の法力をも無効化し、人々の精神を狂わせる魔性の森として原生の自然を象徴的に描いているのである。それはまさに、「現世」と「あの世」の境目に位置する異界として森を捉えていたのだろう。

f:id:funk45rpm:20180727131433j:plain

 

何故に人は森に魅せられるのだろう。もちろん自殺の名所として富士の樹海が存在する一方で、パワースポットとして屋久島などの原生の森は観光で高い人気がある。『五条霊戦記』で描かれた森は劇中で「逢魔ケ森」と名付けられていて、「逢魔が時」という言葉が存在するように「逢魔」は死者との交流を意味している。そういう意味では、まさに森は原始への郷愁を強く放ちながら、太古の記憶を呼び醒まし、此処から先は人が住んではいけない世界という境界意識を発動させる場所なのではないだろうか。

 

人間が住む都市や集落というのは、いわば結界だ。結界の中では共生する人々との最小限度の約束ごと、共通の認識があれば特別な能力がなくとも生存することが可能になる。しかし、ひとたび結界を出るとそこからは結界の中で培った時間や方向といった感覚や認識などは適用できなくなる。いわば既知のセンサー(五感)を捨てて、第六感的な「直感」に従うほか生きるすべがなくなるのだ。

 

自然の中で生きるということは、そうした都市生活では持ちえないプリミティブな直感が研ぎ澄まされ、意識も変性されるのだろう。鬼火や妖精の類を見たなどの言説はこうした変性意識から生じているのではないか。だからこそ森は「畏れ」の対象にもなり、「癒やし」の対象にもなり得るのだろう。

f:id:funk45rpm:20180727133018j:plain

 

古代人は太陽と地球の関係にとても敏感で、太陽の力がすごく強いときと弱いときに、この見える世界と見えない世界のバランスが崩れると考えていた。世の中には、たしかに「目に見えない」世界が存在する。

 

ここ数年の異常気象や未曾有の災害によって、あきらかに人間の生活環境は変わってきている。これから先の「見えない」時代を生き抜くにはこうした太古の叡智や感覚、辺境に生きる先住民族の哲学・自然観なんかが、ますます重要になってくるんじゃないかと考えさせられた。森羅万象の声なき声を聴き取る力、そういうもんが大事なんだって。そう思ったんだわ。

 

さてと、河瀨直美から石井岳龍を経由したからには『パンク侍、切られて候』も観に行かねばなるまい。

 

本記事の参考図書:

野生の思考

野生の思考

 
山怪 山人が語る不思議な話

山怪 山人が語る不思議な話

 
日本霊性論 (NHK出版新書)

日本霊性論 (NHK出版新書)