近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

焼き鳥巡礼 ~誰にも教えたくない店:関西編②~

意外にも、以前に焼き鳥の俺的名店について書いた記事が好評だった。 あきらかにこのブログに訪れる客層とは異なる趣向ながら、驚くべき精読率を誇る記事となった。やはり「食」というのは、人類普遍の関心事なんだろうな。そんなわけで性懲りもなく、「焼き鳥」名店論の続編を書いてみた。

www.sandinista.xyz 

この店のことを書くべきかどうか、迷った。なんせ、閑静な住宅街だけが存在するローカルな町で、神戸の焼き鳥の頂点に君臨すると云っても過言ではない、あの伝説的名店から徒歩10分圏内という立地に位置しているからだ。否応なく、かの名店と比較されてしまう。それでもなお書かずにいられなかったのは、どう吟味してみても名店の味に引けを取らないばかりか、ある基準に照らすとむしろパフォーマンスに優れていると判断したからだ。

 

では、その「基準」とはなにか。ずばり云ってしまうと…価格である。美味いものはそれなりの金額がする。これは世の中に通底する真理だ。翻って云うと、それなりの金額を出せば美味いのは当たり前で、そこに期待値以上の感動は生まれにくいのではないか。最近とくにそう思うようになって、外食するときのひとつの「指標」として値段を重要視するようになった。

f:id:funk45rpm:20190614110048j:plain

 

一方で、そこそこの値段と素材でも期待値以上の味を提供できる店や料理が存在する。ときにB級グルメなどと揶揄されかねない危うさを孕みながらも、想定外の安価によって期待値以上の味に遭遇すると人は否応なしの感動と出会うことができる。そして、安価であるがゆえにより多くの人とその感動を分かち合うことができる。それはなにより、料理の理想を体現しているのではないかと思えるのだ。

 

そういう視点で見ると、件の名店はこだわりにこだわった最高の素材を、最高の状態、最高のタイミングで供するために少なからぬ出費をともなう。もちろん素晴らしい技術と素晴らしい接客によって、お値段以上の満足と感動が得られることは保証する。なんてったって、俺にとっての焼き鳥道を拓く端緒となったのは、その名店と出会ったが為なのだ。そんな初恋の相手を前にしても、世の中に伝えるべき必然性を感じさせられたのが今回の店なのだ。店の名を「TORI(トリック)」という。

f:id:funk45rpm:20190614105646j:plain

(写真: [食べログ]より転載)

 

ここまで云うからには、どれほど安いのか気になるところであろう。両者を正当に比較するにはメニューや品数も違うので難しいところだが、おそらく5,000円もあれば満足いく飲み食いができる。この値段で出せるのにはやはり理由があって、高級な地鶏を素材として使っているわけではないのだ。しかし、地鶏に勝るとも劣らない地元のブランド鶏を朝引きで使っているため、なにより新鮮で繊細な味わいを楽しめる。そして、この店の最大の特徴は「焼き」の技術にある。

 

お店のホームページからそのこだわりポイントを拝借すると、「備長炭で店主が一本一本手作業で焼き、同じ部位の素材であっても 串の場所、季節によっても焼き方を微妙に変えており、そのため一本一本、素材によって焼き方が違う」のだという。どこにでも書いてそうなことだが、過度に盛った表現を一切使うことなく、こだわりの製法について表現した殊勝な文章に、TORI喰という店の本質がよく現れている。つまり、いっさい奇をてらうことなく、ただひたすらに「王道」の焼き鳥なのだ。まるで製作時期ごとに異なる味わいを漂わせながら、モダンジャズという未開の地を切り拓きつづけた巨人、マイルス・デイヴィスのように。

f:id:funk45rpm:20190614105208j:plain

 

店舗を現在の設えに改装するまで立呑スタイルの焼き鳥屋だった、という経緯もあってか親しみやすい昔ながらのメニュー構成となっている。使われている鶏の産地、淡路島は玉ねぎなどの名産地でもある。そんな淡路島の食材を中心に、多大な地元へのレペゼン(敬意)を感じさせる。基本的に串焼きは塩焼き、素焼きを基調にしつつ、臓物など随所でタレ焼きも楽しめ、どれもシンプルでいて奥が深い。昔、「何も足さない 何も引かない」というキャッチコピーのCMがあったけど、この店の串焼きを食すとまさにそんな境地を実感させられる。

 

焼き鳥は鶏を仕入れ、捌いて、仕込んで、焼くというだけの極めてミニマルな料理なだけに、その美味さの決め手となるのは、素材4:仕込み2:調理4くらいの割合だろうと個人的に考えている。そこへいくとTORI喰さんでは元気鶏というブランド鶏とはいえ、とりわけ値の張る地鶏を使っているわけではなく、けっして超一流の高級食材というわけでもない。ただ確かな食材を地の利を活かして、新鮮なまま最低限の下処理だけを施して最高の状態に焼き上げている。やっていることもまた極端なまでにシンプルなのだ。

 

f:id:funk45rpm:20190611222033j:image

f:id:funk45rpm:20190611222045j:image

f:id:funk45rpm:20190611222110j:image

f:id:funk45rpm:20190611222123j:image

f:id:funk45rpm:20190611222138j:image

f:id:funk45rpm:20190611222200j:image

f:id:funk45rpm:20190611222215j:image

 

言葉少なで癖の強い店主ではあるが、おそらく焼きの技術は関西随一といっていいだろう。多くを語らず謎めいた人物ではあるが、想像を絶する下積みを積んだことがその味から窺い知れる。おそらく彼の手にかかれば、凡庸な食材であっても驚くべき味わいに変貌させることができるのではないだろうか。よもや一地方都市のしがない街で、このような技量を持った職人がひっそりと店を構えているとは思いもよらなかった。まさに“備長炭の魔術師”と云えそうな技巧は圧巻だ。

 

店の焼き台、炭の組み方には店主の思想と哲学が現れる。備長炭は備長炭でも、どの産地のものを使っているか、どれほどの直径の、どんな大きさの炭を使っているのか、炭はゆったり組むのか、それとも詰めて組むのか。一つ一つの要素にはそれぞれ理由があって、理想とする焼き上がりを具現化するために、店主は模索の果てに自らの焼き台を組み上げる。けっして大きくはない、TORI喰さんの焼き台の中は一体どうなっているのだろうか。興味と追求の念が尽きぬ。

f:id:funk45rpm:20190614110311j:plain

(写真:ヒトサラより転載)
 

昨今はとくに、焼き鳥の世界でも熟成などの手法で加工を施す店が増えた。人気店の多くはそうした処理を少なからず行っている。しかし特殊な手間を一切かけることなく、新鮮な食材を最良の技術とタイミングでシンプルに食べさせる。そういった、飾り気も駆け引きもなく、当たり前のことを当たり前に追求した、自然な味わいこそが一番美味いことに気付かされた。

 

それに対して華美な表現や凝った賛辞は必要ない。云うべきことはひとつ、ただ「美味い!」ということ。自らの裡から湧きおこる、その感嘆のたった一言を求めて。俺は今日もまた焼き鳥屋を彷徨う。

 

やきとりと日本人 屋台から星付きまで (光文社新書)

やきとりと日本人 屋台から星付きまで (光文社新書)

 
dancyu2017年5月号

dancyu2017年5月号

 
おとな旅プレミアム 神戸 (おとな旅PREMIUM)

おとな旅プレミアム 神戸 (おとな旅PREMIUM)