近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

いらないものが多すぎる

ライフサイクルというものがある。人生もいよいよピークを過ぎ、折り返し地点に差し掛かって思うのは、いろんなものが削がれていく・失うことへの諦観だ。それは決して悪いことなどではなく、むしろ人生の虚飾を剥いでより本質へと向かうかの如きなり。ライフサイクル曲線といえば真ん中が盛り上がった釣鐘状をイメージするのが一般的だが、実はこんな感じかもなって思ったりもする。一円相

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人は死ぬために生きる。案外、本当にそうなのかもな。

 

こういう和のテイストを目にして思わず想起するのが「」的なものへの憧れだったりするんだけど、禅の重要な教訓はずばり「執着を捨てる」ということ。それこそ若い頃に禅の境地に立ちたくていろいろ読んだりもしたけど、禅の考え方ってのはがんばって身につけるものでもなく、経年とともに自然と実感していくものなのかもしれない。本当に最近、執着やこだわりというものが減った。とくに何かを意識しているというワケでもないのに。

 

禅の教えのエッセンスは今という瞬間に集中する、「今ここ」の感覚にフォーカスすることだ。「今ここ」の感覚というのは、ずばり幸せを実感するということでもある。幸せを実感するには、生き甲斐やライフワークなど「モノ」ではなく「こと」に焦点を当てることだ。たとえばヨガやジム通いがライフワークになっているなら、五体満足の身体的な幸福、時間を捻出できることの有難み、経済的自由、共通の趣味をとおした人との出会いなど、今の自分の状況に感謝の念を捧げることで実感できるのではないだろうか。

 

今という瞬間に集中するようになると、要らないものが見えてくる。それは物質であったり情報であったりと様々な形態をしているのだが、実に驚くほど多くの要らないものによって俺らの生活が構成されていることに気づかされる。要らないものが多すぎるがゆえに心の葛藤が生まれる。葛藤が生まれるから苦悩に苛まれる。苦悩に苛まれると観念にとらわれてしまい、マイナス思考から抜け出せなくなったりもする。悪循環だ。そんな負のスパイラルを根幹から断ち切るのに最適な処方箋は、ミニマリストよろしく「捨てる」ということに尽きる。

 

「其不自由なるも、不自由なりとおもふ念を不生(しょうぜず)、不足(たらざる)も不足の念を起さず、不調(ととのわざる)も不調の念を抱かぬを侘なりと心得べきなり」という千家3代・千宗旦が『禅茶録』で示した侘び数寄の精神のとおり、日本人の美徳は華美な意匠や装飾とは対極の、質素な佇まいと規律のなかに宿っていた。まさに「足るを知る」、真の幸福が心の裡にあることを昔の日本人はよく心得ていたのだ。翻って飽食の時代に生きる現代人は、物質的な豊かさによって満ち足りない心の隙間を埋めようとしているかのようにさえ見える。

現代語訳 禅茶録: 英訳付

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実は目に見える現実世界よりも目には見えないものの中に本質があると、最近そう思うようになった。自然の、神仏の、そして身体の声なき声に耳を傾けるような静謐な営み。あのミレーの偉大な名画『晩鐘』のような、そんな生活こそが人間本来のあるべき生き方なのではないか。翻ってモノと情報に溢れた現代社会は、そんな声なき声、内なる声を感知できないほどのノイズに満ちている。

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いらないものは捨ててしまえ。無駄を徹底的に削ぎ落とせ。見えないものを見て、声なき声に耳を澄ませ。

人生の終わりに向かって歩む旅人に捧ぐ、今宵の魂の1曲。

 


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