近未来航法

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柔術で「強く」なりたいの?柔術が「巧く」なりたいの?どっち?

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いやぁ、強いですね」。「ガードがちゃんとできれば、もっと強くなりますよ」。

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道場でよく聞かれる、こんな会話に当初から違和感があった。ん、強く?俺は「強く」なるために柔術をやっている…のか?否、俺は柔術が「巧く」なりたいのだ。もっと云うと柔術が巧くなった結果として、どういうことができるようになるのか。柔術という技術体系が身体や精神にどのように作用するのかを知りたいのだ。あなたに問いたい。ただ「強く」なりたいのなら、柔術じゃなくて良くね?なんで、あんた柔術を選んだの?

 

世の柔術家の多くは、必要以上に「強さ」を追い求めすぎてはいまいか。考えてみてほしい。生活のための稼ぎを別に持つ一般人に、他者を圧倒し凌駕するだけの強さがはたして本当に必要だろうか。強ければ、それでいいのだろうか。仮に護身として柔術を学んでいるということであれば、相手の力を受け流し、コントロールし、脅威を制圧できるだけの技術があれば事足りる。下手をすると相手を傷つけたり、怪我をさせてしまうようなパワーの使い方は本来、必要ないのだ。あんたのやっていることは、「柔」術ならぬ「剛」術になってはいないだろうか?

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逆にこう問うてみてほしい。強い柔術家は、果たして巧い「柔術」の使い手だろうか。国のお家芸たる柔道に相応の競技人口が集まる日本では、とくに柔道家が柔術に転向するケースも多い。当然、同じルーツに端を発するものだけに共通するところは少なくない。元柔道家の多くが得てして過去に柔道で獲得した術理を、通用しさえすればそのまま柔術に転用する。投げ、抑え込みに特化した柔道は、たしかに柔術においても効果を発揮する。だが、それは柔道の術理であって柔術の術理ではない。柔術には柔術的に正しい技の使い方というものがある。つまり格闘技だからといって、必ずしも強いと巧いは一致しないのだ。

 

柔術道場に通っている人を見てみると、概ね3種類の人に分類できることがわかる。ひとつは前述したように柔道やレスリングなど、あらゆる手段を総合して、アレンジすることで「強さ」を追求する人。このタイプはウェイトトレーニングなども行い、パワーや筋力を使うことを厭わない。もうひとつは技を正確に、高い精度で再現することで柔術的な技巧を磨きたい人。こちらは柔術原理に照らして、できるだけパワーを要さないやり方を追求する人が多い。そして最後がフィットネスやヨガなどの一環で、健康管理のために動きを楽しんでいる人。スポーツ感覚なので、筋力やパワーを使う=健康にいいと捉えがち。

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傾向として考えると、強さを追求する人たちの割合が一番多い。もちろん強さを追求しながら、忠実に柔術の技も再現したいという方がほとんどなので、この記事によって特定の人たちを断罪しようというものではない。ブラジリアン柔術が競技柔術である以上、競技性を追求してルールのなかで強くなりたいと願うのは自然なことだろう。しかし、ここで云いたいのは「強くなりたい」か「巧くなりたい」という目的意識をどっちに置くかで、大きくアプローチが変わってしまうということなのだ。

 

俺は以前、イスラエルの護身術クラヴマガをやっていた。クラヴマガというのは、あらゆる格闘技のいいとこ取りをした技術体系で、打撃あり寝技ありの総合的なもの。そのなかに柔術の動きも含まれていた。柔術をベースにした動きは際立って無駄がなく、理に適っていた。その美しさに魅せられて柔術をはじめたので、基本技ひとつでどこまでの運用が出来るのか、どういう効用を生み出すことができるかを追求するようになった。だから試合では技の練度だけで挑むために、ウェイトトレーニングなど肉体改造は一切しないという制約を自分に課した。そのため練習では3/4がドリルによる反復稽古、残り1/4は乱取りのような割合になる。徹底的に柔術の様式に則って何が出来るのか知りたいのだ。

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逆に強くなりたいと願い柔術に取り組むのなら、そういった柔術の基本原理や様式美にとらわれる必要はない。そもそもMMAでも主流のトップポジションを進化させたのはレスリング技術の復権によるものなので、柔術においても現代レスリングを研究して取り込む余地はまだ大きいし、そういった総合的な身体運用に耐えるフィジカルをつくり上げる必要もある。ひとつの手段として柔術を選び、枠にとらわれない。柔術だからといって柔術に固執しない柔軟な思考が強さへの近道になってくるのだ。そうなると実践練習のなかで何を見出だすかが重要になるので、ドリル半分にスパーリング半分、またはそれ以上が理想の配分になってくる。

 

なんで、こんなことをくどくど書いてるかというと、最近話題の「力、入れ過ぎなんじゃね?」問題も、根元を辿るとこの目的意識に回収されるのではないかと思っている。つまり、「強くなりたい」が先行するとどうしても力が手放せなくなる。逆に柔術を「巧くやりたい」と思えば思うほどに、力への執着がなくなってくるのだ。ただ、力の抜き方にもコツがある。単に力を使わないということではなしに、たとえ勝負が何分、何時間であっても継続して闘える緩急のつけ方、それが力の抜き方なのだ。これは強さに固執すればするほど理解できない禅問答でもある。

 

そもそもこうした事態を助長するのが、俺自身も経験のあることだがスパーリング終わりに言われる「力、強いね!」という先輩からの一言。そう云われると、どんなに極められていようとなんだか一矢報いた感じがあって、次はもっとパワフルに勝負してやろうって思ってしまう。だけどこれって、実はお褒めの言葉じゃないことは色帯の御仁なら分かるはず。技術が無いけど頑張ってるのが分かるから、「パワーが有るね」としか感想の言いようがないのだ。つまりは、お決まりの社交辞令ってゆうやつだ。本来、柔術家にとっての最高の褒め言葉は「力、抜けてますね!」であるはずなのに。

 

柔術には人それぞれにスタイルがあるように、楽しみ方もそれぞれにある。あれは良くて、あれはダメというような、押しつけがましい固定観念を振りかざすつもりはない。ただ、もし仮に「巧く」なりたいと願うなら、まずはグレイシー柔術が術理のなかに宿す「戦略」というものを理解する必要がある。当ブログはまさにそうした護身術としてのグレイシー柔術の戦略性について扱っているので、ブラジリアン柔術としての強さよりも、グレイシー柔術としての巧さを選び取る勇気と覚悟を持った御仁は、拙著の過去記事を参照されたし。

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柔術家の諸氏に云いたいことは、唯ひとつ。

柔術、使えてますか?

 

それでは、ご武運を。

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 ※ブラジリアン柔術のベーシックを学ぶ上で、Budovideosからリリースされているブレント・リッテルのエスケープシリーズは最適だ。スタイルの違いに関わらず、誰にとっても必須技術となる基本技の粋が収められているので必見。