近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

混迷の時代に「術」を求めて

Hey Guys!新年、楽しんでますか?昨年と同様に、ゆるりと年始を過ごしてのブログ事始め。俺はいわゆる前厄の御年とも相成り、年始早々にその災禍と思しき難を嫌というほど被ったことで、入念に邪気と穢れを祓うべく名だたる霊場を巡礼したりした。

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そういった“見えない世界”のこと以上に、混迷を極め不可視なのが現下の政治情勢。チープな物語に回収されるような、盲目的で、夢を見させるかのごとく耳障りのいい前向きな言論を俺は持ち合わせていない。愚直なまでにポジティブであること以上に、石橋叩いて渡るほどのちょっとしたネガティブさが必要とされる、自己防衛的な時代に突入していることは確かなのだ。

 

上善は水の若(ごと)し。水は善(よ)く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る、故に道に幾(ちか)し。

 

何者にも、何事にもあらがうことなく水のように生きよ。しなやかに方向を変えながら信じる道をあるがままに歩め、と老子さまもおっしゃっている。だが、最低限のセルフディフェンスの手段もわきまえない人間は、自らの脚で歩むことすら儘ならない。現代はそうした処世術やサバイバル術といった、具象的な術(すべ)やメソッドが強く要請される時代なのだ。

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考えてみれば昨年初に、何気なくブログを「Jitz.(術) LIFESTYLE」と改題したのも因果な話だった。もともと芸術にまつわる個人的な見解をメインに書きはじめた当ブログは、過去の自分を諭すかのように今現在の視座からの遊泳術について言及を拡げ、とくに武術における関心ごとや重要な気づきを読者と共有してきた。まさに俺が見ている世界を皆に見せるための機械としてブログが機能しているわけだが、ものの見事に当初から「術」に魅入られ、ひたすら「術」中にハマっているわけだ。そんな中でのブログ名の改称は、呪術的なまでに必然だったというほかない。

 

」というのは元来、ある物事の意味を新たなものへと変換させるパラダイム・シフトの手段であった。故に非力小柄であっても工夫によって力が強く大きなものにも対応できることが武「術」の本義であったわけだし、人智や科学の及ばない範疇の出来事を魔「術」と呼び、個人の思惑がやがては国家をも動かす謀(はかりごと)にもなり得るからこそ権謀「術」数というような語が存在したりもする。それだけの力が、かつての「術」には内在していたのだ。それは無力な言葉なんかよりもよほど、社会に訴えるものがあったに違いない。

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ところが柔道の祖・嘉納治五郎が提唱した「術の小乗から道の大乗へ」という呼び声とともに、いつしか「術」は力を失ってしまった。かつて人を殺傷するための純粋すぎるほどに繊細でカルトだった技術が、より多くの人間を育て、活かすという崇高な大義のために細部(ディテール)を捨て去り、普遍的な“競技”に成り果ててしまった柔(やわら)の道のように。そしてこの流れはAIの発達やグローバリゼーションの台頭によって、より加速しつつある。ロボットや安価な労働力に代替され、人間の手から「術」が喪われつつあるのだ。

 

術の多くは口伝であるがゆえに、技ととともに思想をも伝播させる力を持っていた。近代における新興宗教は、しばしば武術の力を借りながら布教活動にあたった事実も存在する *1 。それだけ「術」は人を魅了し、フィロソフィーを感染させ得るものだったのだ。翻って云うと、これからの時代に「術」を持っている者は強い。喪われつつあるからこそ、なお価値が増す。価値が高まればこそ、経済的にも生存活動にリンクしてくる。だからこそ技を磨き、術を究めよ。術に込められた先人の考えやメッセージにじっくりと耳を傾け、想像し、自らの直感を高めるのだ。

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「術」は物事の本質や原理原則のようなものでもある。型を教えてもらったら、自分でそれを何度でも繰り返す。そのうち身体から答えが滲み出てくる。滲み出てきた答えに従って、次の教えを受け、そしてまた次の道へ進む。術を学ぶことは自分自身に術をかけ、術を染み込ませることでもある。ただ頭脳や身体を動かして進むだけでは、術は身につけられない。術が持つ力を信じて、自ら術中にはまることができなければ、その先の世界は見えない。

 

そもそも「術」という漢字の成り立ち自体が、「十字路」の象形と 「とうもろこし」を意味する象形から、整然と(ある行為を)継続させていくための「みち」や「てだて」を指していたという。当然のこと古代中国で成立した漢字なのだから、当時の術というと「まじない」や「占い」など呪術に起源があると考えるのが自然で、「術」には在るべき道筋を示す役割があったのだ。つまり「術」とは、明日を切り拓く羅針盤のようなものなのだ。

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生活を楽にするために生まれた機械を主体にした文明は、同時に人間本来の可能性をも退化させた。退化した身体性は少しずつ人間の心を蝕みはじめた。巷に蔓延する鬱病質やパラノイアは、極度に身体性を喪失させた現代文明が手に入れた進歩の代償なのだ。それはとりもなおさず、文明発展に対して人間がもはや為す術(すべ)を持ち合わせていないことの証左でもある。

 

今からでも遅くはない。俺たちとともに見えない明日を生き延びるために、

さあ、「術」を手にする覚悟はできただろうか。


City Hunter - Get Wild 97

 

蓋し直(なお)きを好みて枉(まが)れるを悪(にく)むは、天下の同情、之れに順(したが)へば則ち得、之れに逆らへば則ち得ず、術(じゅつ)を以て能(よ)くす可きに非ざるなり。

-『論語古義』

仁斎論語  『論語古義』現代語訳と評釈

仁斎論語 『論語古義』現代語訳と評釈

 

 

智術の士は、必ず遠見にして明察なり。

-『韓非子』

韓非子 (中国の思想)

韓非子 (中国の思想)

 

 

*1:初期・合気道と大本教との関係、戦後の植芝盛平翁の宗教活動などを参照せよ