今でこそ漫画を読まなくなったが、学生時代は漫画に没頭していた。そのせいか、わりと自分の中の価値観の軸になっているものが、漫画から吸収した知識だったりもするのだ。おそらく1980年代近辺で幼少期にバブルを過ごした同年代くらいの方は、そういう人も少なくないんじゃなかろうか。
どの年代でどんな漫画を読んだかという体験は、人によっても異なる。それこそ少年ジャンプや少年マガジンといった雑誌が力を持っていた全盛の時代、トレンディだった漫画は同じ時代を過ごしたことを証明する、世代を経て記憶に刻まれた同時代性の産物だ。漫画でエポックとなったキャラクターやキーワードを肴に、場末の居酒屋で四方山話に花を咲かせるなんてことも往々にしてあるのだ。
他方で少し世代がずれていたり、それほど話題にならなかった傍流の(いわゆるマニアックな)作品のなかでも、妙に自分の感覚と深く結びつき、郷愁を誘う類いのものが存在する。ときにそんな作品のなかに、人生を変えるだけのインパクトをもった強烈なワンフレーズや台詞、名シーンというものが隠されていたりするのだ。
今回はそんなアラフォー世代の俺の人生にとって、強烈な読書体験をもたらしてくれた作品たちを紹介する。ここに挙げた作品を読むことで、同年代の方たちは懐かしい思い出に浸ることができるし、俺らよりも下の世代はこれからの日本を背負おうことになる働きざかり世代の価値観や行動原理が理解できるだろう。
これらを読んで、俺と同様に人生の糧になれば幸いだ。
同年代の方はこれらを昔話の肴に、懐かしき日々をともに語ろうではないか。
センゴク外伝 桶狭間戦記
ちょうど駆け出しのサラリーマン時代、ビジネスという競争を支配する決定的な因子は何かと模索していた時期があった。そんなときに読んだのがこの漫画で、有名な桶狭間の戦いの前後を織田信長と今川義元、双方の視点で語られた新解釈の歴史活劇だ。愚鈍な公家かぶれと思われがちな今川義元だが、近年の研究ではきわめて戦略的で大局的な視座から領地経営を行っていたことが解ってきている。
戦国武将が下賤なものと蔑んでいた金の力を見抜き、“金”によって日本を支配しようとした織田信長と、法律による支配を最善とし、“法”の力に心酔した今川義元の運命的な邂逅と数奇な宿命を儚くドラマチックに描き出している。俺はここから自分ならではの武器を持つことの重要性、そしてビジョンや世界観の力の偉大さを学んだ。
項羽と劉邦
史記にも記された、秦王朝滅亡後の楚漢戦争を描いた古代中国の壮大な歴史群像劇。横山光輝といえば『三国志』を思い浮かべる人がほとんどだろうが、俺は断然、この『項羽と劉邦』が好きなのだ。様々なキャラクターも数多く登場するのだが、なんといっても好対照な2人の君主による覇権争いが魅力的。
個人的に好きなキャラクターは劉邦の将軍、韓信。貧民出身で「股くぐりの臆病者」とも揶揄され、項羽に士官するも重用されず、その天才的な才能を劉邦が認め、後に2万の軍勢で30万の趙軍を打ち破るなど大躍進をとげる。独創的な戦術で大胆な勝利を得る、軍師の鏡といえる傑物だ。
ツルモク独身寮
ツルモク家具にインテリアデザイナーを志す新入社員として入社した宮川正太と、独身寮の住人たちとの人間模様を描いたラブコメ・ギャグ漫画だ。1991年に映画化もされているというのだが、その存在すら知らなかった…
リアルタイムではなく、ちょうど高校生のときに数年遅れで読んだ作品なのだが、将来を模索する思春期にこれと出会ったことで、社会とは、仕事とは、結婚とはなにかを考えさせられた。まだ現実を知らないがゆえの将来へのほのかな期待。焦燥感。憧れ。胸キュンのラストの展開にもすっかり感化され、甘酸っぱい青春の記憶として脳に刻まれている。濃いキャラクター描写も魅力的。
ジパング
『沈黙の艦隊』で有名な、かわぐちかいじによる仮想戦記SF。海外派遣に向かう海上自衛隊の最新鋭イージス艦みらいはミッドウェー沖合で嵐に巻き込まれ落雷を受ける。その直後、ミッドウェー海戦直前の1942年にタイムスリップし、歴史の流れに巻き込まれていく。こちらも2004年にTVアニメ化されている。
これもキャラクターが大変に魅力的な傑作なのだが、この物語のキーを握るのは、みらい副長の角松洋介が自ら救助した帝国海軍通信参謀、草加拓海だ。現代の艦艇に助けられたことで日本の未来を知ってしまった草加は、運命に抗い、日本の生き残る道を画策し歴史の闇へと消えていく。自らの運命を悟り、それでもなお歴史を知ろうとする草加のこの一言に、生きる意味を探していた俺は救われた。
TOKYOブローカー
魔性の車を巡る人間たちを描いた青春群像劇『湾岸ミッドナイト』が有名な、楠みちはるによる全13話の未完の傑作。2004年の東京を舞台に、2人のブローカーの奇妙な関係とアウトローなビジネスの世界を描いた作品。主人公こそ大学生の若者だが登場人物の多くがけっして若くはない不良中年たちで、個性的すぎるキャラクターがいぶし銀の魅力と大人の色香を放っている。
車が好きなわけでもないのだが『湾岸ミッドナイト』も大好きだった。なんともノスタルジックな芳香をプンプンとさせながら、マニアックな愉悦にひたる大人の男たち。そんな男たちに寄り添う大人の女。なんとも妖艶で不思議な物語で、もっと続きが読みたかった。大人になるとはこういうことなんだな…そう考えさせられた思い出の1冊。