近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

『東京ラブストーリー』から考える、東京の都市論

Amazonプライムビデオで、かつての『東京ラブストーリー』を観た。1991年にフジテレビ系列の「月9」枠で放送されていた名作のほまれ高いテレビドラマなのだが、僕は当時リアルタイムでは観ていなかった。聞くところによるとオリンピックイヤーである今年、この名作ドラマがリメイクされるようなのだ。

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1991年当時。時代は折しもまだバブル景気の熱が冷めやらぬなか、「東京」には夢と希望が溢れていた。それを示すように劇中には建設途中のレインボーブリッジだったりとか、開発前夜の台場の原風景などがそこかしこに映し出されている。急激に開発が進み、誰もが東京郊外の新興住宅地でのおしゃれな暮らしを夢見るような、まだ東京に大きな神話があった時代だ。

 

ところで、およそ30年という時を経て、初めてこのドラマを観てみると、このドラマが一体何を描こうとしているのかよく解らなかった。物語には必ず作者の何かしらのメッセージが込められているものだが、僕にはこのドラマが何を訴えようとしているのかが読み取れなかったのだ。

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内容としては、新たな生活を夢見て上京した青年が、郷里での原体験と淡い恋心に揺れながら、都会での出会いと別れ、そして再会を繰り返す。天真爛漫に生きる小悪魔的で無邪気な女性と、いつまでも過去の幻影を引きずり、現実に対して煮えきらない男性。映し出されているものは、ただそれだけなのだ。ただ妙に心に刺さるものがあり、都会で生きるとはそういうものだと納得させられるものがある。

 

当時のいわゆるトレンディードラマ自体が確たるメッセージもなく、ライフスタイルとしての都市生活とそこに住まう人たちの葛藤や心の動きを描き出している。そう云ってしまえばそれまでなのだが、これはまだ「東京」という都会に大きな魔力が宿っていた時代だからこそ、成立する物語なのだと考えさせられてしまった。

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そのような視点で見てみると、主人公である永尾完治の郷里である愛媛県・松山が、ドラマの中ではあくまで東京のコロニアル(植民地)であるかのような描かれ方をしている。かつて心ときめく青春時代を過ごした地でありながら、登場人物たちは必要以上に郷里を美化することをしない。それどころか、まったくといっていいほどに地元への愛着がないのだ。

 

ところが東京という都市の魅力をドラマが押し出しているかというと、どうもそういうわけでもない。ロケ地になっているのは都心の中の、なんでもない公園だったり、繁華街、交差点、ひっそりとした路地だったりする。「東京ラブストーリー」といいながらも、物語の設定として「東京」である必要がない内容なのだ。

 

対照的に東京ラブストーリー以降のドラマや映画は、都市を舞台として捉え、その演出を志向する都市のドラマトゥルギーによって、金太郎飴なみに紋切り型の、観光地的なコンテンツが大量生産されることになる。つまり「東京」あっての物語が、資本によって売り出されるライフスタイルとセットになって消費されていくのだ。

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そしてこれ以降の東京は、資本の戦略によって都市計画が整備され、東京の景観は均質化し、三浦展風に云うと急速に「ファスト風土」化していく。グループ企業の不動産会社で郊外を開発し、ひとびとに住宅を買わせ、グループ企業の私鉄で通勤させ、グループ企業のデパートで買い物をさせる。そんなライフスタイルのトータルデザインによって、ターミナルは広告都市化し、東京自体がパッケージ化されていくのだ。

 

しかし「東京ラブストーリー」が描く東京は、あくまで舞台装置でしかなく、東京である必然性がまったくない。さらには「東京」という虚構の神話や共同幻想が崩れた今、東京は魔力を失い、逆にかつてのコロニアルであった地方都市や衛星都市で生活し続ける、居続けることのほうがよっぽどリアルであるからだ。無理に背伸びして、都会に住むことのメリットが急速に希薄化し、むしろ東京で生活していた人たちが地方都市へと流出しているのが実態といえるのだ。

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その証左といえるのが在京テレビ局の弱体化、YouTubeの台頭にあるのではないだろうか。今や人気ユーチューバーといえる人たちも、東京に居ることの必然性がなくなっており、地方都市から発信し続けるユーチューバーが目立つようになった。むしろ最近は、東京に居続けることがリスクであるようにさえ思える事態が多く見受けられる。それよりもフレキシブルに居場所を変え、時間や場所を問わない生活が現代的になってきている。

 

そんな脱中心化している今の日本にあって、「東京」という場所にどのようなコンテクストが意味付けされていくだろうか。つまり、東京ラブストーリーが「東京」ラブストーリーである意味が、かぎりなく薄れているということだ。いまや文化の集積地としての文脈は、ほとんど意味をなさない。それでもなお都会の喧騒のなかで生きることの必然性や意味付けを、東京自身が志向していかなくてはならない。東京であることの必要性を、自らに問い直さなくてはならないのだ。

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僕はなにも、この文章によって東京を糾弾しようとかディスろうとしているわけではない。僕自身も社会人経験のいくらかを東京で費やし、若かりし頃の思い出を育んだ地でもある。気の置けない仲間たちも今なお居る。だからこそ、東京には東京の「意味」というものを生成してもらいたいと思っているのだ。可能であれば、ふたたび人々を東京へと誘うだけの引力、求心力を宿してほしいとさえ思っている。

 

それには、そこに住まう人たちによる自助努力が求められる。魅力を創造するだけの、イマジネーションが求められる。そのような自助努力の円環によって、日本という国の復権、国際社会における優位性というものが再び生まれてくるのではないだろうか。

 

参考文献:

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)

  • 作者:東 浩紀,北田 暁大
  • 出版社/メーカー: NHK出版
  • 発売日: 2007/01/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 
新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

 
ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

ファスト風土化する日本―郊外化とその病理 (新書y)

  • 作者:三浦 展
  • 出版社/メーカー: 洋泉社
  • 発売日: 2004/09
  • メディア: 新書