近未来航法

予測不能な現代社会を生き抜く知的サバイバル術

2020年、「メタデータ」と「編集」の時代

2020年が幕を開けた。職業柄、経年を振り返ることで今年の行く末やシナリオを“読む”ということを必ず年始に行っていて、そのときの大きなヒントになるのが、日経MJが発表している「ヒット商品番付」だ。どのような商品・サービスが売れ、どのようなトピックに人々は消費をしたのかを見ることで、社会が抱える欲望や病理というものが見えてくるのだ。

 

ちなみに2019年末に発表されたものが以下の画像になる。

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ここから云えることは、「ラグビーW杯」「令和」「タピオカ」「天気の子」など社会現象となった消費動向がダイレクトに、そのまま反映されているということ。つまり、いわゆる「自分らしさ」であったりとか「アイデンティティ」が映し出された商品・サービスではなく、消費もポピュリズムに世の中が傾倒している。

 

また、それらの事象に輪をかけて「キャッシュレス」だったり「ウーバーイーツ」といった、お手軽サービスが浸透したことによって、自らの狭い生活圏のなかで完結するようなライフスタイルが浸透していることが窺える。その証左として、「ニンテンドースイッチライト」や「ドラクエウォーク」といったゲーム関連コンテンツのランクインからも理解ができる。試しに10年前である2010年の番付と比較してみると、昨今の特異性が見えてくる。

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これらはゼロ年代に重視されていた、いわゆる「ゆとり教育」であったり「オンリーワン教育」の反動として、またはグローバリズムの果ての多極型システム、反知性主義的なポピュリズムに陥っている結果としての消費動向のように思えるのだ。1980年代のバブル景気を背景にアイデンティティを喪失した世代を社会学上では「ロスジェネ世代」と呼んでいるが、今はまさに新たな「ロスジェネ」の再来、といえなくもない契機にさしかかっているのではないだろうか。

 

それではこの先、どのような時代が待っているというのだろうか。今一度、歴史を振り返って見たいと思う。近代経済の黎明は、1760年代にイギリスで起こった蒸気機関の発明に端を発する「産業革命」だといわれている。これによって人類は飛躍的に移動距離を広げ、より早く、より遠くへと地理的な移動を可能にするようになった。

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その後、19世紀後半にアメリカで重工業が発達したことによって大量生産が可能になった。これが第二次産業革命だ。より安く、より大量に製品が作られることにより、今度は物質的な制約を解き放った。そして、そのまま20世紀半ばにはインターネットによって、人類は仮想上の空間に新たな領土を獲得したのだ。そして今、21世紀はまさに「第四次産業革命」の時代だといわれている。

 

この第四次産業革命は、ロボット工学、人工知能 (AI) 、ブロックチェーン、ナノテクノロジー、量子コンピュータ、生物工学、IoTによるスマートライフ 、自動運転車などの多岐に渡る分野においての新興の技術革新が期待されている。そして特に「自己フィードバックで改良、高度化した技術や知能」、つまりAIが「人類に代わって文明の進歩の主役」になる時点のことをシンギュラリティと呼び、それが2045年前後になることが予測されている。

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つまりは人類の経済的、生産的な営みの大部分をAIが代替してしまう社会の到来が予見されている。そうすると、いわゆる「資本家」ではない大多数の人々が経済活動に参加するためには、AIや機械に代替することができない分野で、独自の地歩を固めておかないといけないのだ。そうしないと、「エンジニア」や「クリエイター」という職種以外が存在しない世の中が来てしまうことになる。そんな契機にさしかかっている今、「ロスジェネ」世代のように自分探しをすることで打ちひしがれ、黄昏れている暇はないのだ。

 

それではAIや機械では代替できない分野とはなにかというと、それは新たな「知識」を生み出すということだ。今現在の社会は人類が営々と積み重ねてきた知識の集積である。次第に人類を凌駕するであろうAIやロボットも、そうした人類の知識が生み出したものだ。そうすると既知の事象や枠組みの中から、新たな方向を指し示す未知の知識をつくり出すこと。これこそが人類にしかできない貴重な営為ではないか。

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だからこそ21世紀は技術革新とともに「学び」の時代であるということが云えるのだと思う。とくに20世紀までのアカデミズムというのは閉じられた世界だった。いわゆるリベラルアーツといわれる分野や、人類の教養や娯楽のために生み出された様々な知識には鉱脈が眠っている。ビジネスや投資といった実利的な経済活動がすべて機械に取って代わられても、新たな知識を生み出し、人間の知的好奇心を満たしてくれるコンテンツをつくり出すことは機械にはできない。

 

だからこそ、既存の「知」と「知」を結び合わせ、新たな「知」を生み出すことが求められてくる。つまり、この記事で云いたいことの核心は、「編集」する能力がこれから先、ますます求められてくるということだ。人間として、経済人として生活している我々は知ってか知らずか、日々、知識を編集しながら生きている。これだけ知識さえも成熟した現代において、「クリエイト」することは難しくても「編集」して新たなコンテンツをつくり出すことはできる。

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大切なことは、結び付けられた知識と知識の「メタデータ」を丹念に読み解き、そして正しく紐付けるということだ。なぜ、その情報なのか。なぜ、その情報に紐付けられるのか。そういったストーリーはすべてメタデータのなかに隠されている。つまりは「編集する能力」とともに「メタデータを読み取る力」がこれから先の困難な時代に必要とされるということだ。

 

大事なことなので最後に云っておく。

2020年代は「メタデータ」の時代だ。

俺らは「編集」することで生きていく。